alesia

 カエサルとガリア人との戦争について書かれているのが、このローマ人の物語 ルビコン以前[下]である。
 武器や軍制の面で優勢なのがカエサル側であり、人数や身体能力、地理的な面で有利なのがガリア側であるといえる。
 すでに、カルタゴを始め多くのライバルとの戦いを経て多くの面で改良がなされている。こうした、学習の継承という点で他の文明と比べて古代ローマは優れているように思われる。
 ともあれ、このガリア人との戦いは、ローマ人の技術とシステムを大いに活用して戦っている感じがして、とても面白い。
 
 カエサルの手に成る『ガリア戦記』は、日本でもよく読まれていて、翻訳本も多いし、手に入りやすい。それでも、いきなり『ガリア戦記』を読むのは結構大変なので、やはり『ローマ人の物語』を読んだりしてある程度話の流れを知った方がより簡単に読む事ができる。古代ローマ文学を読む最初の一冊として、『ガリア戦記』はいかがだろうか。下は、PHP研究所によって出版されたガリア戦記である。

 ところで、ガリア側はヴェルチンジェトリックスを中心にまとまることとなったが、まとまることによって一網打尽にされてしまったのではないだろうかということだ。
 ゲリラ戦法のように、集まったり散ったりすれば、ローマ側は具体的な目標を絞ることが難しくなのではないだろうか。まあ、無理かな。バラバラになれば、ガリア人同士で疑心暗鬼になって裏切ったりするかも知れない。それに相手はカエサルだから、たぶんどんな状況になっても対応してしまいそうだ。
 
 もう一つがガリア側の状況を読んでいて思ったことがある。それは、戦争を続ける上での身内をまとめる難しさだ。孫子の兵法で、風林火山とかいう言葉があるけれども、そのような自由自在の用兵のためには、身内をまとめなければ不可能だ。だから、風林火山とは、用兵を説いているというよりも、風林火山のように用兵ができる様に、常に身内を固めておくべきだという教えこそ話の本筋のように思える。
 それぞれの人には、それぞれの利益や立場がある。それゆえ、特に人の財産や生命のかかった戦争という行為は、協力するのが難しいのだろう。
 日本の戦国時代の関ヶ原だって、もし西軍全員が大谷善継ばりに死ぬ気で戦ったらたぶん勝っていたと思う。しかし、西軍も東軍も必死で戦ったのはほんの一部に過ぎない。これは、それぞれの大名や家臣や足軽の一人一人にそれぞれの思惑があって、簡単には身動きが取れないためであろう。つまり、身内をまとめることの難しさの結果なのではないだろうか。
 上の画像は、フランスの画家、リオネル・ロワイヤルによる、カエサルに降伏するヴェルチンジェトリックスである。